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FIRE旅カンボジア編:遺跡を巡る旅 自由っていうのはこういうことだな

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前回のベトナム編では、フエ・ホイアン・ダナンと三都市を巡って、
「観光地テンションに振り回される無職」の姿を淡々とお届けしました。

(詳細は前回の記事を見てね!)

そして今回、いよいよ旅は国境を越えてカンボジアへ。
シェムリアップに降り立ち、世界遺産・アンコール・ワットを目指します。
そう、ついに“あの遺跡”です。教科書の中だけにいた彼が、ついに現実に。

…が、その前にまず赤土まみれのトゥクトゥク1時間耐久砂埃チャレンジが待っていました。車にすればよかった。いや、これはこれで風情。たぶん。

遺跡そのものももちろん圧巻でしたが、
僕の目を引いたのは、そこに群がる各国の観光客たちでした。
順番は守らない、人の流れは止める、音量はフルボリューム。
「おいおい、ここ遺跡だぞ」と言いたくなる場面、何度か。

でも、そんな中で「Where are you from?」と聞かれ、
「From Japan!」と答えたときにふと相手の顔がほころぶ瞬間があって、
なんだかちょっと、誇らしいような、うれしいような、照れくさいような気持ちになりました。

マナーがいい国かどうかなんて、決めつける気はないけれど、
“旅人としてどう見られるか”を考えるようになったのは、
たぶんFIRE旅で少しだけ落ち着いた証拠かもしれません。

そんなふうにして始まった、カンボジア・シェムリアップでの3日間。
遺跡に見とれたり、赤土にまみれたり、砂埃を吸いながらちょっとだけ誇らしさを感じたり。
そして、旅人としての“観察眼”がまたひとつ、冴えてきた気がします。

最初の1日は、ダナンからの移動と、市内をぶらぶら。
何気ない景色のなかに、その土地の「顔」が見えてきます。

 


🛬シェムリアップ1日目:赤土の街にちょっとだけ緊張して降り立つ

ベトナム・ダナンからカンボジア・シェムリアップまでは空路での移動。
あらかじめ取得しておいたeビザを握りしめ、少しだけドキドキしながら入国審査を抜けました。
英語もクメール語も不安だけど、なんとかなるのが旅のいいところ。というか、なんとかするしかないのがFIRE旅。

空港を出て最初に感じたのは、空気の重さと赤土の匂い。
そして、ベトナムと決定的に違ったのは――クラクションの音がしない
あの“ピーピー”の騒がしさがないだけで、精神的にすごく穏やかになれる気がします。

でも油断して歩いていたら、小学生くらいの子が普通にバイクに乗っててびっくり。
ちなみにカンボジアでは15歳から免許なしでスクーターに乗れるそうです。
いや、君はまだ九九も危ういのでは…?というくらいの少年も走ってましたけどね。笑

宿泊は、「ワンダーズ シェムリアップ(Onederz Siem Reap)」
立地もスタッフも部屋も、すべてが想像以上で、「ここはリピ確だな」とチェックイン直後に確信。

笑顔のスタッフに迎えられ、部屋に入った瞬間、旅の疲れがすっと抜けていくような感覚。
FIRE旅で求めている“ほどよく静かで、清潔で、気を使わなくていい場所”が、ここにはありました。
朝食も安くてうまい。個室もドミトリーも選べるけれど、もちろん個室を選択。無職でも、プライバシーは譲れません。

チェックイン後は、市内をのんびり散歩。
ローカル食堂や土産物屋が立ち並ぶなか、ふと立ち寄ったお土産店の店員さんが、まさかの日本語ペラペラ。
油断してたぶん、ちょっと感動しました。

彼は観光ガイドもしているそうで、アンコールワットについても案内できるとのこと。
「これは…不勉強な僕には朗報では?」と素直に思いました。
しかも、胡椒を使った地元の調味料をいろいろ味見させてくれて、普通にうまい。
次の日の行き先はもう決まっていたけれど、「遺跡って、ガイドつきで見たほうが面白そうだな」と思い始めた夕暮れでした。

ホテルの部屋は清潔で広々 静かで快適 3泊しました

プールサイドで食事も可能 どれも結構安いのは助かるし スタッフはみんなニコニコ

 

 


🚜シェムリアップ2日目:赤土をかき分け、湖のほとりへ


朝、ホテルの前で声をかけてきたトゥクトゥクの運転手と軽く交渉し、
トンレサップ湖までの往復をお願いすることにしました。
水上観光が終わるまでのあいだも「待ってるよ」と言ってくれて、
しかもその料金がとてもリーズナブル。これはFIRE旅的に大助かりです。

湖の周辺はGrabも捕まりにくいらしく、戻りの足が確保できたのは安心材料のひとつ。
クラクションも鳴らない赤土の道を、トゥクトゥクがぐんぐん進んでいきます。
道中は予想通りの砂埃との闘い。視界の端が常にオレンジ色。
でもこれが乾季の風景。乗り物ごと自然に巻き込まれてる感覚が、なんだか悪くない。

トンレサップ湖まで こんな道をずーと走る 赤土が印象的

 

水上観光のチケット売り場で受付の人に「どこから来たの?」と聞かれたので、
「Japan」と答えると、にっこり笑って、マスクを1枚差し出してくれました。
「砂埃すごいからね」と。
こういう気遣いがすっと出てくるところに、カンボジアの人のやさしさを感じます。

ボートに乗り込むと、エンジンの音とともに静かな水面をすべっていきます。
見渡す限りの茶色い水と空、そして高床式の家々が水辺に並んでいるのが見えてきます。

乾季だったせいか、柱がすっかり露出していて、その高さにびっくり。
「雨季にはこんなところまで水位が上がるのか……」と想像すると、
水上で暮らす人たちの生活力にただただ驚かされます。

高床式の住居 雨季には水位がかなり上がるらしい

 

観光用のルートに沿って進んだ先には、水上に浮かぶ食堂のような場所。
ここで小一時間ほど、夕焼けタイムまでのんびり。
残念ながらこの日は曇り空で、湖に沈む夕日は見られませんでしたが、
「観光」と「生活」の境界をぼんやり眺めるような、不思議な時間を過ごすことができました。

帰り道も同じトゥクトゥクでホテルまで。
砂埃の道も、2回目にはちょっとだけ慣れてきて、
「この赤土も旅の一部だな」なんて、余裕ぶったことを考えたりします。

トンレサップ湖は、派手な見どころがあるわけではないけれど、
静かにじわっとくる、“地続きの異文化”を感じられる場所でした。

貸切状態の小舟にのって湖上に浮かぶ夕焼けスポッチ兼 食堂へ 風が気持ちいい

曇り空でトンレサップ湖に沈む夕日は見れなかった 残念 大きさはなんと琵琶湖の約10倍!

 


🛕シェムリアップ3日目:朝焼けの遺跡で、世界の静けさと向き合う


この日は朝4時に起床。
まだ眠気の残る中、ホテルのロビーでぼんやりしていると、5時ぴったりに迎えが到着。
てっきりトゥクトゥクかと思っていたら、普通に車。
こんな時間に、しっかり時間通りに来てくれるのがありがたい。

快適な車内でアンコール・ワットへ向かいながら、だんだんと気持ちも整っていきます。

まだ暗い時間に出発 雨がしとしと  意外なことにレクサスが来た

幸い、小雨はぱらついていたものの、本格的なスコールにはならず、
しっとりと湿った空気が、逆に遺跡の“神秘っぽさ”を引き立てていた気がします。

到着してすぐ、池の前に人だかりができているのが見えました。
「みんな考えることは同じか」と思いながら、自分もその列へ。
やがて空がじわじわと明るくなり、
アンコール・ワットのシルエットが浮かび上がるその瞬間――

正直、言葉が出なかった。

朝焼けというより「世界が静かに始まる音のない映像」を見ているような感覚。
多少の曇りや小雨なんて関係ない、
そこに“世界遺産”があるというより、“時間が蓄積された空間”が広がっているという印象でした。

言葉が出ない幻想的な景色 逆光でアンコールワットのシルエットがはっきり浮かび上がる

その後は、アンコール・トムやバイヨンなど、主要な遺跡を巡っていきました。
エアコンの効いた車内は快適で、早起きでぼんやりしていた頭にもやさしかったです。

観光地らしく人も多く、どこを見ても“映える角度”で写真を撮ろうとする人々。

……が、ここに来て自分の“観察癖”が発動します。

順番を守らない、通路を塞いでの撮影、
遺跡の石に登る、触る、笑い声が響きわたる――
「いや、ここ遺跡だからね」と、何度か心の中でツッコミを入れてしまいました。

でも、だからこそ気づいたこともあります。

何度か現地の人に「Where are you from?」と聞かれ、「Japan」と答えたとき、
笑顔でうなずいてくれたり、ちょっと丁寧な態度に変わる瞬間がありました。
勘違いかもしれないけど、それでも少しうれしい。

日本人観光客が全員マナーがいいとは言わないけれど、
「日本人は比較的静かで礼儀正しい」と言われたこともあります。

そういう場面に出会うたび、
“自分がどう見られているか”を自然と意識するようになった自分に気づきました。

さらに印象深かったのは、現地で出会ったガイドさんの存在でした。
観光案内のほかに、お土産ショップや各種ツアーも運営していて、
「オフロードバイクで巡る遺跡ツアー」なんて、聞いただけでワクワクしてしまいます。

驚いたのは、日本語が独学だということ。
日常会話どころか、歴史の解説までできるほど流暢で、素直に感心しました。

コロナ禍では仕事がなく、プノンペンまで出稼ぎに行っていたそうです。
年齢は僕と同じくらい。でも、バイタリティーが桁違い。
観光地での出会いだったはずが、気づけば人生の一端を見せられたような時間になっていました。

このスケジュール、大満足でした。
でも、ふと思ったんです。
「これ、あと10年後だったら体力的にキツかったかもしれないな」と。
こういう無茶が効くのも、FIRE旅を今やってる理由のひとつかもしれません。

こんなものを900年前に作るって…像で石材を運んだらしいです


ほんとため息が出てしまう 写真はそこそこにして 自分の目でみて心に焼き付けました

 


🎒まとめ:遺跡も旅も、“今しかできない歩き方”で


ベトナムからカンボジアへ。
国を越えて続いていくFIRE旅ですが、今回のシェムリアップ滞在では、
観光というよりも「観察」と「出会い」が深く印象に残りました。

赤土の道、水上の暮らし、朝の遺跡、そして現地で懸命に生きる人たち。
ひとつひとつの風景が、観光ガイドのページをめくるような“知識”ではなく、
実際に歩き、会話し、五感で受け取る“記憶”として残っていきます。

そして、ふと思いました。
「これ、定年退職してからやるのは無理だな」と。

朝4時に起きて遺跡で朝日を見て、炎天下を歩き回って、砂埃を吸い込みながらローカル飯に挑む――
冷静に考えて、健康診断オールB判定でもキツい。

年金が出る年齢になってから「よし、東南アジア三国周遊!」って言われても、
たぶんその時点では“行きたい気持ち”と“身体の許容量”が噛み合わないと思います。

FIREの意味って、資産額じゃなくて、
「暑くても4時に起きられるうちに、やりたいことをやること」なんじゃないかと。
そう考えたら、トゥクトゥクに揺られながら咳こんだのも、もうちょっと誇らしく思えてきました。笑

実を言うと、旅に出る前はYouTubeでたくさん旅行動画を見ていました。
でも、やっぱり自分の目で見て、自分の足で歩いて、自分の鼻で砂埃を吸うってのは、
どんな高画質の映像よりも、何倍も鮮烈で素晴らしい体験でした。

そして何より、心の底から思ったんです。
FIREしておいて本当に良かった、と。

サラリーマン時代だったら、こんなふうに3週間も旅に出るなんて到底できなかったし、
できたとしても、途中で仕事のことを思い出していた気がします。

でも今は、ただ旅のことだけを考えていればいい。
それって、とてつもない贅沢なんだなと、遺跡の片隅でしみじみ感じていました。

 


✈️次回予告:無職、タイへ。ムエタイ観戦とアユタヤ遺跡


遺跡と赤土と湿度の旅を終え、FIRE旅は次の国、タイへと進みます。

バンコクでは、ワット・ポーやワット・アルンといった定番スポットを巡り、
中華街ヤワラートで食べ歩き、ムエタイ観戦で謎のアドレナリンを浴びました。

その後はアユタヤへ移動して、1泊しながらじっくり遺跡を堪能。
帰りに再びバンコクへ戻り、タラートノイの裏路地で静かな時間を過ごす予定です。

観光テンションに翻弄されるのか、無職らしく受け流すのか ーー

Enjoy FIRE!

FIRE旅のタイ編、どうぞお楽しみに!




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