
「ゲームって時間の無駄じゃない?」
「そんな服、意味ある?」
「外食なんてコスパ悪いよ」
…いやいや、全部“楽しい”って理由じゃダメなんですか?
最近は何でもかんでも「タイパ(タイムパフォーマンス)」や「コスパ(コストパフォーマンス)」
…楽しむことすら効率で測られるなんて、ちょっと息苦しいと思いませんか?
僕は昔、ゲーム開発の現場にいたことがあります。
だからこそ言いたいんです。「娯楽=無駄」と決めつけるのは、ちょっともったいない。
この記事では、娯楽を“無駄”とする価値観に疑問を投げかけつつ、
罪悪感なく楽しむためのヒントを探っていきます。
この記事は5分で読めます。タイパは気にせず、気楽にどうぞ。
娯楽を“無駄”とする人の価値観
「そんなことして何になるの?」
「それって将来の役に立つの?」
娯楽に対して、そんな問いを投げかける人がいます。
彼らにとって娯楽は、時間とお金の“浪費”に見えるのかもしれません。
背景には、こんな価値観があるように思います。
・時間を「成果」で測る人たち
何かをするなら、意味があることを。
できるだけ多くの結果を得られることを。
そんな「生産性至上主義」が染みついている人にとって、娯楽は“意味のない時間”に映ります。
たとえば、休日に読書していれば「勉強熱心だね」と言われ、
ゲームをしていれば「時間の無駄じゃない?」と言われる。
やってることは似ていても、「見た目の成果」によって評価が分かれるんです。
・節約思考が“正義”になる場面
「それ、外食するより家で作ったほうが安いよ」
「その服、もっと安くて似たのあるじゃん」
たしかに節約は大事ですし、僕も無駄遣いはしたくないタイプです。
でも行きすぎると、「価格=価値」になってしまうことがあります。
楽しさや気分転換といった“目に見えない価値”が、まるっと無視されてしまうんですね。
・「大人らしくあれ」という無言のプレッシャー
年齢を重ねるごとに増えてくるのが「大人なんだから」という空気。
特にゲームやファッション、漫画といったカルチャー系の娯楽は「子どもっぽい」と見なされがちです。
でも、年齢を理由に楽しみを制限されるなんて、ちょっと寂しくないでしょうか?
そもそも、“大人らしい”って誰が決めるんでしょうね。
娯楽を否定する人たちが悪いわけではありません。
ただ、彼らの価値観は「正解」ではなく、あくまで「一つの見方」
ここからは、違う視点で“娯楽の意味”を見直していきたいと思います。

それって本当に無駄?娯楽がもたらす3つの価値
娯楽は「無意味」「生産性がない」と言われることがありますが、本当にそうでしょうか。
むしろ、見えにくいだけで確かな価値をもたらしてくれる存在だと僕は思います。
ここでは、娯楽が持つ3つの側面を紹介します。
1. 心を回復させる「精神的メンテナンス」
毎日、忙しさやプレッシャーにさらされていれば、心だって疲れます。
そんなときに、好きなゲームや趣味、カフェで一息つく時間があると、それだけで気持ちが切り替わるものです。
たとえば僕は、ちょっとヘコんだときにあえてお気に入りのRPGを起動して、
「よし、こっちは世界を救ってるから大丈夫」と謎の自信を回復したりします。笑
娯楽は、心の余裕を取り戻す“隠れた栄養ドリンク”みたいな存在なんです。
実際、厚生労働省が行った調査でも、趣味や娯楽の時間が多い人ほどストレスを感じにくい傾向があるとされています。
「何かに没頭できる時間」は、ただの気晴らし以上に、心の健康を支えてくれる大切な要素なのです。
2. 人生に彩りを与える「感性の刺激」
映画を観て涙したり、マンガの何気ないセリフにグッときたり、
いつもよりちょっとだけ良いシャツを着て出かけるだけで
「今日は少し自分に優しくできそう」なんて思えたり。
そういう感覚って、すごく大事じゃないでしょうか。
効率や成果だけでは測れない、人生を豊かにする感性の刺激。
娯楽には、日常をちょっと楽しくしてくれる力があります。
3. 人とつながる「共通の話題」
「最近ハマってるゲームある?」
「このアニメ見た?」「あのラーメン屋行ったことある?」
こんな会話がきっかけで、職場や友人との距離がグッと近づくこともありますよね。
娯楽は、共通点を生む“つながりの装置”でもあります。
無駄どころか、人との関係を築くための、立派なツールなんです。
娯楽は、見た目には意味が薄いかもしれません。
でも、それは「栄養がない」と思われがちなスープに、実はちゃんと野菜の旨味が溶け込んでいるようなものです。
心・感性・人とのつながりに、じんわり効いてくるんです。
次の章では、特に誤解されがちな“ゲーム”について、もう少し深掘りしてみます。

ゲームは本当に意味がない?
「ゲームなんて時間の無駄」
「子どもがやるもの」「大人になったら卒業するべき」
そんなふうに言われる場面、まだまだ多いかもしれません。
でもゲームって、本当に“意味がない娯楽”なのでしょうか?
ゲームの現場にいたからこそ感じる「奥深さ」
僕は以前、ゲームの開発現場で働いていました。
だからこそ分かるのですが、ゲームは「時間潰し」のためだけに作られているわけではありません。
物語や音楽、ビジュアル、操作感――
あれは映画や小説、漫画の魅力を一つにまとめて、プレイヤー自身が“物語の中を旅する”体験なんです。
映像作品や小説と同じように、心を動かされるゲームもたくさんあります。
さらに、仲間と協力して攻略するマルチプレイゲームでは、リアルな協調性や戦略性も自然と鍛えられます。
インタラクティブな「創造と感情のプラットフォーム」
ゲームは、観る・読むだけの体験ではなく、自分の手で物語を動かすメディアです。
物語の選択を任されたり、自分の判断で世界が変わっていく――そんな感覚があるからこそ、より深く感情が動くのかもしれません。
自分で選択し、行動し、時には失敗もしながら、物語や世界に関わっていく。
つまりこれは、能動的な感情体験であり、
プレイヤー自身が「物語の共作者」になる体験とも言えます。
子ども向けと思われがちなゲームの中にも、
社会問題や哲学、深い人間ドラマを扱った作品はたくさんあります。
「感動して泣いた」「考えさせられた」「励まされた」
そんな声が寄せられるのは、ただの“暇つぶし”にはできないことですよね。
「課金=悪」ではないけれど…
ちなみに僕は課金ゲームには手を出さない派です。
ただ、だからといって課金そのものを否定するつもりはありません。
実際、推しキャラを手に入れることで元気をもらったり、毎日の楽しみになっていたりする人もいます。
微課金で“ちょっとしたご褒美”として楽しむ人もいれば、重課金でイベントを走り抜けるのが生きがいという人もいる。
金額の大小よりも、「どう付き合うか」のほうが大事だと思います。
大切なのは、自分に合った楽しみ方を見つけて、
それを他人と比べたり、否定し合ったりしないことなんじゃないでしょうか。
ゲームは、ただの遊び以上の何かを秘めています。
“時間の無駄”どころか、心を動かし、人をつなぎ、時に人生に光を当ててくれる――
そんな可能性すらあるんです。
