最近、「窓際FIRE」という言葉を目にすることが増えました。会社に籍を置いたまま、仕事の負担を減らし、自由な時間を増やすというスタイルですね。これを聞いて「それ、最高じゃん!」と思う人もいれば、「それってFIREなの?」と疑問に感じる人もいるかもしれません。
僕は後者です。いや、楽をするなとか、ずっと働けとか言いたいわけじゃないんです。 僕自身、FIREを達成していますし、会社員時代のような忙しさから解放されて、今は自分のペースで生活しています。でも、だからこそ思うんです。FIREの本質って、そもそも何なんだろう? と。
ちなみに、僕は完全に貯蓄だけで生活しているわけではありません。投資もしているし、家賃収入もあるので「もう働かなくてもいい」と思える状態ではあります。でも、FIREの定義って人それぞれで、「貯蓄だけで生きるのがFIREだ!」という人もいれば、「いや、少しは働くけど自由なのがFIREでしょ?」という人もいる。このあたり、FIREという言葉がふんわりしているからこそ、意見が分かれるポイントなのかもしれません。
もちろん、これは僕個人の考えです。「窓際FIRE」が心地いいと感じる人もいるでしょうし、それを否定するつもりはありません。でも、僕はこの言葉に少し違和感を覚えます。窓際FIREって、本当にFIREなのか? それとも、ただの“会社に残るための言い訳”なのか?
そこで今回は、「窓際FIREって本当にFIRE?」という視点から、その違和感の正体と、僕が考えるFIREの本質について掘り下げてみたいと思います。 ぜひ、みなさんも一緒に考えてみてください。
窓際FIREとは?
最近、「窓際FIRE」という言葉をネットやSNSで目にすることが増えました。もしかすると、この記事を読んでいる方の中には「初めて聞いた」「なんとなく知っているけど詳しくはわからない」という方もいるかもしれません。
窓際FIREには明確な定義があるわけではありません。ただ、世間一般には「会社に籍を残しつつ、できるだけ負担を減らし、自由な時間を確保する働き方」という意味で使われることが多いようです。(もし違っていたらすみません)
「いや、それってFIREじゃなくてただの窓際族では?」と思う方もいるかもしれません。確かに、「窓際」という言葉には「出世コースから外れて、会社の片隅でひっそりと過ごす」といったネガティブなイメージがあります。しかし、窓際FIREは単なる「窓際族」ではなく、意図的に仕事の負担を減らし、自由な時間を増やすための戦略的な選択なのです。
窓際FIREとサイドFIREの違い
「会社に籍を残しつつ自由な時間を増やす」という点では、窓際FIREはサイドFIREに近いものがあります。しかし、サイドFIREは「FIRE後に生活費の一部を補うために働く」という考え方なのに対し、窓際FIREは「FIRE前提ではないが、とりあえず仕事の負担を減らす」ことに重きを置くという違いがあります。
つまり、サイドFIREは「もうFIREできるけど、少しだけ働く」、窓際FIREは「FIREできるかわからないけど、とりあえず仕事を減らしてみる」といったニュアンスが強いのかもしれません。
窓際FIREのメリットとデメリット
メリット
- 安定した収入がある(投資や副業が不安定でも生活の心配が少ない)
- 社会とのつながりを維持できる(孤独になりにくい)
- いきなり完全FIREするリスクを避けられる
デメリット
- 本当に自由なのか疑問(仕事がゼロにはならない)
- 周囲の評価が下がる可能性(「あの人、やる気ないよね?」と思われる)
- 「ただ会社にぶら下がるだけ」になりがち
窓際FIREは、FIREを目指す過程での一つの選択肢としては理解できますが、「FIREの完成形」として見ると少し違和感があるのも事実です。
僕が感じる「窓際FIRE」への違和感
窓際FIREという言葉を初めて聞いたとき「ん? それって結局、会社にしがみついてるだけでは?」と少し引っかかるものを感じました。もちろん、楽をするなとか、バリバリ働けと言いたいわけではありません。僕自身、FIREを達成しているので、「好きなときに好きなことをする自由」は何よりも大切だと思っています。
ただ、「FIRE」と名がついているわりに、なぜ会社に居続けるのか? それってFIREなのか? そう考えると、何だかモヤモヤしてくるのです。
言葉の問題:「窓際族」のイメージが強すぎる
そもそも「窓際FIRE」という言葉、インパクトが強いですよね。「窓際」と聞くと、ドラマや漫画に出てくる「社内ニート」の姿が思い浮かぶ人もいるかもしれません。
僕が真っ先に思い浮かべたのは、漫画「美味しんぼ」の山岡士郎 です。彼は新聞社の社員ですが、仕事への情熱はゼロ。適当に過ごしつつも、食べ物の話になると突然キレッキレに動き出す。会社にはいるけれど、最低限の労力でやり過ごし、好きなことだけにエネルギーを注ぐ姿は、ある意味で窓際FIREの完成形かもしれません(笑)
もちろん、窓際FIREは「意図的に仕事の負担を減らして自由を確保する」考え方なので、単なるサボりとは違います。ただ、「会社にぶら下がるだけ」と誤解されがちな点は気になります。ネーミングの問題で損をしているのかもしれません。
FIREの本質とズレている?
FIREではなく、「FIREしているつもり」になってしまうのでは? と思うのです。
例えるなら、「ジムに入会しただけで運動した気になっている状態」や「参考書を買っただけで賢くなった気がする状態」 に近いかもしれません。本来の目的は体を鍛えたり、知識を身につけたりすることなのに、形だけ整えて満足してしまう。
窓際FIREも、「FIREという言葉を使っているけど、実際には会社に籍を置いたまま」という点で、本当に自由を手に入れているのか? それとも、ただ現状をキープしているだけなのか? という疑問が生まれるのです。
会社の仕組みとの矛盾
もう一つの違和感は、「会社の目的」と窓際FIREの考え方が噛み合うのか?」という点です。僕は投資もしているので、企業は利益を出して成長するものだと考えています。会社が社員に求めるのは、基本的に「成果」です。
でも、窓際FIREのコンセプトは「できるだけ負担を減らす」ですよね。会社側からすると、「利益を生まない人がずっといる」状態は、あまり歓迎されないはずです。
もし窓際FIREを目指すなら、「会社にとって自分がどんな存在なのか?」を考えておかないと、気づいたときには「窓際」ではなく「社外」に放り出されるかもしれません。
結局のところ、大切なのは「自分が何を求めるのか」
ここまで違和感について語ってきましたが、窓際FIREという働き方自体を否定するつもりはありません。 会社に残りながら自由な時間を増やすことで、穏やかに暮らせる人もいるでしょう。
ただ、本当に目指すべきなのは「会社に籍を置くこと」なのか、それとも「自分の意思で生きること」なのか? そこをしっかり考えないと、気づいたら「何となく居心地がいいからそのままにしていたけど、結局何も変わらなかった」 という状態になりかねません。
僕自身は「誰かに雇われるのではなく、対等な関係で仕事をしたい」「窮屈さを感じずに生きたい」と考えています。だからこそ、「とりあえず会社に残る」という窓際FIREには違和感があるのかもしれません。
窓際FIREはアリなのか?
ここまで、僕が感じる窓際FIREへの違和感を述べてきましたが、だからといって「窓際FIREなんてやめるべきだ!」と言いたいわけではありません。FIREの形は人それぞれですし、「こうあるべき」と決めつけるものでもないと思っています。
FIREを目指している人を僕は応援したいですし、「自分にとって最適なFIREの形を見つけること」が何より大事 だと考えています。窓際FIREという選択肢も、その人にとって心地よいものであれば、それはそれでアリでしょう。
ただ、一つ気になるのは、「会社に籍を置くこと」自体が目的になってしまっていないか? という点です。
「安定収入がある安心感」は理解できる
窓際FIREを選ぶ理由の一つとして、「完全FIREにはまだ不安があるから」という人は多いと思います。
- 「投資や資産運用だけで本当にやっていけるのか?」
- 「再就職が難しくなるリスクを考えると、完全に辞めるのは怖い」
- 「FIREはしたいけど、社会とのつながりを完全に絶つのはちょっと…」
こうした気持ちはすごく理解できます。収入がゼロになるというのは、それなりの覚悟が必要ですし、会社に籍を残しておくことで安心感を得られるのも事実 です。
「FIREを目指していたはずが、現状維持になっていないか?」
ただ、僕が気になるのは、「FIREを目指していたはずが、いつの間にか現状維持になってしまっていないか?」ということです。
最初は「FIREの準備期間として窓際FIREを選んだ」つもりでも、気づけば会社に残ること自体が目的になってしまい、「本当にFIREするぞ!」という気持ちが薄れてしまう という可能性もあります。
…まぁ、僕自身は「FIREするぞ!」と決意して飛び込んだわけではなく、なんとなく流れでFIREしました けどね(笑)このあたりの話はまた別の記事で書こうと思いますが、気づいたら会社を辞めていて、気づいたらFIREしていた… そんなケースもあるわけです。
ただ、「なんとなく」でもFIREできる状態だったからよかった ものの、窓際FIREの状態で「本当にFIREできるのか?」を考えずにズルズル続けてしまうのは、少し危うい気もします。
「いつか会社を辞めよう」と思いつつ、数年が過ぎてしまい、結局そのまま定年まで働く… そんな未来になってしまったら、それは本当に望んでいたFIREなのでしょうか?
FIREの本質は「選択の自由」
僕が考えるFIREの本質は、「働く・働かないを自由に選べること」です。
完全FIREをするか、サイドFIREを選ぶか、それとも窓際FIREを続けるのか。どの道を選ぶにせよ、「自分が本当に望む生き方」なのかを考えることが大切 だと思います。
その選択が、「ただ会社に残ること」になっていないか? 「安心感を得るための言い訳」になっていないか? そこをしっかり考えてほしいのです。
FIREは、「ただ仕事を減らすこと」ではなく、「自分で生き方を決められること」こそが本質です。だからこそ、「あなたが本当に目指すFIREの形は何か?」を問い続けることが大切 だと思います。
まとめ
窓際FIREは、会社に籍を残しながら自由な時間を確保するという、一つの選択肢です。安定した収入を維持しつつ、ストレスを減らして働けるというメリットがあるため、「いきなり完全FIREは不安だけど、少しずつ自由な時間を増やしたい」という人にとっては、有効な手段かもしれません。
しかし、「会社に籍を残すこと」自体が目的になってしまうと、本来目指していたFIREとはズレてしまう可能性もあります。 FIREは、ただ働かないことではなく、「自分で働き方や生き方を選べること」が本質だからです。
ここまでFIREの話をしてきましたが、「いや、FIREなんて目指してないよ」という方もいると思います。でも、今の働き方にモヤモヤしている人なら、何かしら気づきがあったかもしれません。 窓際FIREだろうと、サイドFIREだろうと、そもそもFIREなんて考えていなくても、「自分はどんな働き方をしたいのか?」を考えることは大切です。
僕自身は「誰かに雇われるのではなく、対等な関係で仕事をしたい」「窮屈さを感じずに生きたい」と思っています。そのため、「とりあえず会社に残る」という窓際FIREには違和感がありましたが、それもまた人それぞれの選択です。
「あなたが本当に目指したい働き方は何ですか?」 これを考えることで、より納得のいく生き方が見えてくるはずです。
まぁ、深く考えすぎても疲れるので、まずは好きな飲み物でも片手に、ゆるっと考えてみるくらいでいいかもしれませんね。
それとも、窓際FIREならぬ「窓際トレーダー」 になって億り人を目指してみますか?(笑)
こら!仕事しなさい!
Enjoy FIRE!
次回の投稿もお楽しみに!
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